mamekoのブログ

日々の暮らし

中島のてっちゃの話

どうしてもこの話題に触れたくて…



てっちゃん
じゃなくて
てっちゃ


東北地方では言葉が短くなる。



昭和30年代~40年代
秋田市の川反。
尺八を持って繁華街を回り
日銭を稼いで生活していたという。


知的障害のあるてっちゃは
人々に蔑まれ、追い回され
そして…
愛された。


てっちゃの入る店は
繁盛したという。




市長の名は知らずとも
中島のてっちゃの名を知らぬ者は
秋田市民にあらず…





このてっちゃなる人物の話を
遠い昔聞いたことがある。


町の行政に関わっていた父は
ほとんど家にいることは無かった。


そんな父から
このてっちゃの話を聞いた。
こうゆう人になってはいかんという
父の教えだったのか…



SNSで見かけたこの話に惹かれたのも
遠い昔の記憶があったからだろう。



しかし
このてっちゃの生き様に
涙が溢れた。




「生きる」とはこうゆうこと。




25日、BSで再放送があると聞いた。
もちろん録画予約をした。

コーヒーかすの針山

玉ねぎの皮を捨てるのがもったいないと
草木染めにはまった人がいると聞いた。
草木染めには興味を持ったが
未だに、たまに出る玉ねぎの皮を捨てるのをもったいないとは思えない。




私がもったいないもの…
それは毎日出るコーヒーのカス。




娘が小学生の時
学校から家庭科で使う裁縫セットの注文があった。


まだミニマリストというコトバが無かった時代。
その頃からミニマム気質を持っていた私は
上っ面のキャラクターのついた裁縫箱は購入したものの
中身は家にある物で揃えた。


糸切ハサミ
メジャー


そして
手作りしたのがコーヒーかすの針山。
珈琲豆に油分があるから針が錆びず自身も使っていた。


娘曰く…
今ならコーヒーかすで作る
母の感覚は分かるが…
当時は恥ずかしくて出せなかったと…


今から30年も前の話…
小学生の子どもにとっては疎ましかっただろう。


時代の先端はヒットするが 
先の行き過ぎはハズレのようだ。。。